サッカー日本代表の三笘薫選手は東京オリンピックやカタールワールドカップでも見事な走りとドリブルで注目され話題になりました。
彼の出身大学が多くのプロサッカー選手を輩出している筑波大学であることは有名ですね。
そんな三笘薫選手ですが彼の出身高校については意外と知られていません。
また高校時代の彼はどのような生活を送っていたのか気になります。
この記事では
- 三苫薫選手の出身高校はどこ?
- 三苫薫選手の出身高校の偏差値は?
- 三苫薫選手の高校時代のエピソード
についてまとめてみました。
今や世界で活躍している三苫薫選手の出身高校や、当時のエピソードについて興味がある方はぜひ最後までご覧ください。
三笘薫の出身高校は川崎市立橘高校!偏差値まとめ
元川崎 三笘薫
J1 川崎
J通算 50試合21ゴールベルギー サンジロワース
ベルギー通算 27試合7ゴール22-23
プレミア ブライトン 33試合7ゴール pic.twitter.com/DpczxxjmZl— 野球&サッカー&NBA好き (@JLegue_Iseki) July 25, 2023
三苫薫選手の出身校は彼の出身地である神奈川県川崎市にある川崎市立橘高校。
公立高校には珍しく普通科、国際科のほかに、スポーツ科が存在しています。
神奈川県には、川崎フロンターレや横浜F・マリノス、横浜FC、湘南ベルマーレといった、サッカーの強豪チームが多くスポーツが活発な県です。
川崎市立橘高校が公立高校にしては珍しくスポーツ科が存在しているのはそのためかもしれません。
川崎市立橘高校の各科ごとの偏差値は次の通りでです。
- 普通:偏差値57
- 国際:偏差値52
- スポーツ:偏差値44
三苫薫選手がどの科を選択していたかはわかっていないのですが、彼は小学校時代から川崎フロンターレのジュニアユースチームに所属しており、どうしても試合で授業に出席できないことがありました。
その点スポーツ科がある高校だったら、クラブユース所属もスポーツ面で優位なポイントとして融通が効きやすいのではとスポーツ科を選択してた可能性が強いです。
また、川崎市立橘高校はスポーツだけでなく、進学にも力をいれている高校で明治、青山学院、立教、法政、中央大学と難関私立大学への合格者も多く見られます。
なんといっても自宅がある同じ川崎市で川崎フロンターレのジュニアユースチームに所属しながら近くの高校にも通えるという条件は、三笘薫選手にとって幸運以外のなにものでもないですよね。
三苫薫の実家は金持ちで鷺沼のマンションや兄弟や父母の家族構成という噂を検証しました。
三笘薫の高校時代のエピソードまとめ!
三笘薫くん、徹底マークされ続ける2年目で活躍できたら本物です。 pic.twitter.com/oXHVpE7dOh
— ⚒ (@zONe_COYI) July 23, 2023
三笘薫選手の高校エピソードをまとめてみました!
日本代表で現在はプレミアムリーグのブレイトン所属の三笘薫選手は高校時代にプロからボールを奪うなどすでに才能を発揮させていたことや気遣いのある人間性が素晴らしいエピソードがあります。
三笘薫選手の高校時代のエピソードを見てみましょう。
三笘薫の高校時代のエピソード①高校時代にテストマッチでプロからゴールを奪った!
川崎市立橘高等学校に進学した三笘薫選手は高校の部活に入部せず川崎フロンターレU-18に昇格しプレーしていました。
この頃からプレー中の彼の1対1での強さは注目されていましたが、その実力を物語るエピソードがあります。
2015年、当時高校2年生だっただった三苫薫選手はアルビレックス新潟とのトレーニングマッチに参加しています。
その試合でプロ相手に鮮やかなドリブルを見せ、なんとゴールまで奪ってしまいました。
高校生がプロ相手にドリブルで挑戦するだけでもすごいのに、ゴールも決めるなんて誰も予想していなかった展開ですね。
その場にいたサッカー関係者やサポーターの間でもかなり注目されていたそう
三笘薫 高校時代のエピソード②トップチーム昇格の打診を拒否して筑波大学へ進学!
高校時代に早くもその才能を発揮していた三笘薫選手は川崎フロンターレのトップチーム昇格の打診を受けます。
しかし、三笘薫選手はその時の実力がプロとして通用するのか確信が持てず、大学進学を選択しました。
そんな彼が選んだのは筑波大学でした。
もちろんプロとしての実力は川崎フロンターレのジュニアユースチームでの活躍で保証済みだったのですが、プロの世界でトップを目指して昇り詰めていくためにはまだ不十分だと感じたのでしょう。
三笘薫選手は「サッカーの1対1場面における攻撃側の情報処理に関する研究」というテーマで卒業論文を書いています。
三笘薫選手の実践をもとに研究された論文は、他に例を見ない論文だった為に筑波大学以外の学生からも問い合わせが殺到したそうですよ。
三笘薫の高校時代のエピソード③走り高跳びで170cmを軽々クリアする跳躍力が凄い!
高校時代の三笘薫選手の運動神経には、当時授業を担当した体育教諭も驚かされています。
走り高跳びの授業に参加していた彼は、ほんの数回の練習後170cmの高さのバーをなんなくクリア。
しかもその時は陸上用のスパイクではなく普通の運動シューズを履いていたそうです。
でも体育教諭が驚いたのは高さだけではなく、その美しいフォームの完成度でした。
その時、体育教諭が思わず興奮気味に声をかけたにもかかわらず、三笘薫選手自身はいたって冷静でそっけない様子だったそうです。
彼にとって170CMのバーをいきなり飛び越えてしまったことは、さほど大したことではなかったのかもしれませんね。
三笘薫の高校時代のエピソード④高校時代から素晴らしい人間性が高く評価されていた!
三笘薫選手が通っていた川崎市立橘高校は共学だったため男女合同のサッカーの授業がありました。
その時は周囲がプレーしやすいように気遣いながら参加していたそうです。
またサッカーの練習や試合での活動で急かしい時でも、学校行事にもしっかりと参加するまじめな生徒でした。
三笘薫選手をよく知る人は、彼の性格を自分の能力を周りにアピールすることはなく謙虚な性格だと述べています。
試合中は眼光鋭く闘争心の強さを感じさせる彼ですが、普段はいたって周囲に気遣う控えめ目な性格なのがうかがえますね。
まとめ
三笘薫選手の出身高校の偏差値や高校時代のエピソードについてまとめてみました。
三笘薫選手が通っていた高校は神奈川県川崎市にある川崎市立橘高校でした。
彼がどこの学科を選択していたかは、はっきりした情報は掴めて居ませんがサッカー活動との兼ね合いから、おそらく偏差値44のスポーツ科に通っていたのではないかと思われます。
また彼のずば抜けた身体能力や、その思慮深い人柄によるエピソードについても調べてみました。
高校・大学への進学はある意味人生の岐路という難しい選択に迫られます。
それにどう向き合っていったかで、当時の彼のサッカーへの熱意や将来に向けての視野の広さ、また謙虚さがうかがえます。
驚異的なドリブルを武器に、三笘薫選手は世界の強豪チームを相手に今後どんなプレーを繰り広げていくのでしょうか?
これからも三苫選手から目が離せませんね!